2009年11月24日

前田憲男さんのコンサート

11月17日、前田憲男さんのコンサートへ行ってきました。

前田さんとは、シンガーソングライターのくるみeeさんの紹介で、一度コンサートに招待して頂き、その後、前田さんを囲む会(ムサシクラブ)に誘って頂き、そこでマジックを演じて盛り上がったのが縁で(笑)、ことある毎に声を掛けてくれています。

今回は、「語り継ぐもの」というタイトルで、前田さんがピアノを、若い演奏家がベースとドラムを担当し、スタンダードなピアノトリオをじっくりと聴かせてくれました。

突っ走るドラムを、ピアノで牽制する前田さん、2人のやりとりを苦笑いしながら見守るベースと、なかなか見応えのあるやりとりで、すっかり楽しませて頂きました。

先日、とあるホテルで、ジャズピアノを聴く機会がありましたが、比べてはいけませんが、全くレベルが違いますね。もう、ノリがが違うというか、前田さん自身、とっても楽しんで弾いておられるというか。弾いておられる前田さんを見ているだけで、観客は幸せな気分になります。

12月は前田さんのお誕生日。そのパーティに誘って頂いたのですが、生憎仕事が・・・。
残念です。

先日、尺八を始めた・・・という記事を書きましたが、山本邦山さんのジャズCDのアレンジに、前田さんの名前を発見しました。

色々とアレンジを手掛けておられる、流石はジャズ界の寵児ですね。

もうというか、まだというか、70代半ばの前田さん。

これからも、ますますのご活躍を祈念しております。

投稿者 ono : 17:48 | コメント (0)

2009年11月09日

尺八に手を出す!!

笛好きが高じて、ついに尺八に手を染めてしまいました。

今まで、リコーダーから始まり、リコーダーも一本で吹いていてはもの足りず、2本いっぺんに口にくわえて吹いてみたり、大人になってからはオカリナを吹き(これは今でも続いています)、ケーナを吹き、そして、とうとう尺八に。

いつか、この日が来ることが分かっていました(笑)。
ただ、イメージ的には、音がでない、楽器が高い等、敷居が高すぎ・・・・というところがあって、なかなか手が出ませんでした。

今年の夏に、昔買ったケーナを引っ張り出して、マスターするべく練習を開始しました。これがなかなか音が出なく、手こずりました。
ようやく音が出るようになり、それなりに曲の演奏などができるようになりましたが、何せ単純な楽器故、ピッチがあわず、他の楽器との合奏にはなかなか向きませんでした。

そんなときに、ヤフーオークションで、「尺八」と検索をかけると、想像を絶する安い値段で取引がされているではありませんか・・・
こんな安価で尺八が手にはいるとは・・・ということで、1本仕入れてみました。

後でわかりましたが、ちゃんと銘があり、「河野玉水」という製管士の先生が作られたものでした。オークションは、価値の分からない人が売りに出しますので、高級品が安価で手に入ったりするものですね。

職場に届いた尺八を、皆が帰宅した後にそっと吹いてみました。すると、ケーナでさんざん苦労したせいか、結構あっさりと音が出ました。
指使いも、何となくリコーダーと似たところがあり、要領を覚えて、色々と吹いてみましたが、いかんせん息の調節がきかず、5分も吹いていると、酸素過多でめまいがしてきました(笑)。

また、いろいろといじっていると、1オクターブ高い、所謂「甲音」(かんおん、と読みます。甲高いの読みは、ここから来ているそうです)が全くきれいに出ず、また、運指も不安だし、色々と奏法もあるようなので、独学ではきついな、と思い始めました。

色々と調べていましたら、東武カルチャースクールで尺八のレッスンを見つけました。非常にリーズナブルな価格で、教えてくださいます。先生も、この道の大師範であられる、また、トッププレイヤーでもあられる、「井藤麗山」先生です。
尺八には、都山流と琴古流という二大流派がありますが、麗山先生は、都山流の大師範。
この先生の教え方がとっても上手。乗せられっぱなしです。

「筋が良い。いい音が出ている。半年分のレッスンを2日で終わってしまった。」等々。

「是非、ゆくゆくは師範の資格を取ってください。」とのこと(笑)。

普段から鞄の中に尺八を入れ、暇さえあれば楽器を引っ張り出しては吹いています。お陰様で、自分でいうのもなんですが、大分上達してきたな、と思います。
さて、年末の忘年会の一芸に間に合うかどうか・・・(笑)。

投稿者 ono : 22:05 | コメント (1)

2009年04月30日

【オカリナ】オカリナの思い出 第5部~最終章、番外編まで

オカリナの思い出と題する昔書いたエッセイを連載していたことをすっかり忘れており、友人から

「あれどうなったの?楽しみにしてるんだけど。」

などという、予想外の嬉しい言葉を頂いたもので、急遽原稿を探して、最終章、そして番外編までを掲載させて頂きます。
一応、今回が最終回となります。

【目次】
第5章 ダブレットとの出会い
第6章 ダブレットくん大活躍
(1)ウィーン・ザルツブルグにて
(2)司法修習生時代
第7章 今後
番外編

それでは、お楽しみください。

5 ダブレットとの出会い

  オカリナの難点は、何と言っても音域の狭さ。普通のオカリナでは、1オクターブ半ほどしか出ない。その音域で演奏できる曲というのは、やはり必然的に限られてくる。もっと音域の広いオカリナはないものかなぁ・・・ とオカリナを制作している会社のパンフレットを漁り始めた。そうすると、同じくアケタというお店が「ダブレット」と言って2オクターブ半もでるオカリナを作っているではないか・・・
  一体どんな仕掛けなんだ?と思って調べると、通常10穴しかないオカリナに16穴も開け、おまけに吹き口も2つあるという。要は、普通のオカリナに小さなオカリナを合体させて1つのオカリナのような体裁を保ち、実際演奏するときには 高い音を吹くときは吹き口を替えながら演奏するというものである。型名は「Tー4F」。値段は何と2万円。普通の楽器の4倍近くもする。でも欲しい。嫌、絶対に手に入れないと気が済まない(笑)。でもこんなの、本当に売っているんだろうか・・・と思い、銀座のヤマハへ足を向けた。
  店員さんに話をしたら、実物があるというので見せてもらうことにした。在庫は2つしかありませんので、どちらかを試奏して気に入った方を持っていってください、 とのことだった。早速2台のダブレットを持って試奏室へ。吹いてみるんだけど、なかなか思うように操れない。音もそう簡単にでない。これは練習のし甲斐があるぞ。と思い、大枚をはたいて音程の良い方を購入。その日からはただひたすらダブレットの練習に向かう。 といっても、本業の司法試験の勉強の合間を縫ってということであるが・・・
  吹き口が2つあり、これを自由自在に口を滑らして吹き分けなければならない。しかし、なかなかスムーズに口が滑らない。そうです、すぐに乾燥してしまうのです。吹き口の周りを一生懸命なめて乾燥しないようにしたりしても、所詮つばきではすぐに乾燥してしまう。 どうすりゃいいんだ???
  紆余曲折の上、いずれの吹き口も口の中に含むような形にして常時吹き口を湿らすようにし、息の出し方を工夫して使わない穴の方へ息が行かないように演奏方法を改良し、口の滑らしも少ない距離で間に合うようにした。すると、この点は改善でした。
  次に起きた問題は、低い音の管と高い音の管は、吹き口を替えなければいけないというところからみても、別の管になっている。ということは、音色が全く一緒だというわけではない。低い音から高い音へ行くとき、またその反対のときに、音同志の間で違和感が出てしまう。 これをなくさなければならない。低い音の方は、管が大きいので必然的に柔らかい音が出るし、高い音の方は、管が細くて小さいので硬めの音が出てしまうのである。この問題は、何度も音を出し、違和感が出ないように吹き方を調整して音ので具合を研究してようやく解消した。
  これで、音域の問題と演奏上の問題は解消。2オクターブ半を自由に操れるようになった。そうすると、持ち替えで演奏するという面倒くさいことはやってられなくなってくる。その後、オカリナを吹くと言えば、このダブレット以外には殆ど手にしなくなってしまった。

6 ダブレットくん大活躍

(1)ウィーン・ザルツブルグにて
   このダブレットを購入した年の11月に、何とか司法試験に合格。人生の内に一度はウィーンとザルツブルグへ行きたいと思っていたところ、両親が記念に行ってらっしゃいと旅行代金を出してくれた。実に良い親である(笑)。明けて平成9年3月、僕はウィーンとザルツブルグへ旅立った。
   もちろん、コートのポケットにはダブレットがいつも一緒。僕の目論見は、ウィーンのケルントナー通りでオカリナを演奏することだった。ケルントナー通りをブラブラし、CD屋さんに入ると店の外から笛の音がきこえた。「あっ、リコーダーだ。」と思い、一目散に外に出てその演奏に聴き入る。
   何とまぁ、レベルの高い演奏。僕も昔アメリカでリコーダー2本を口にくわえ、アルルの女より「ファランドール」を演奏し、拍手喝采を頂いたことがあったが、そんなのは愛嬌であって、そこで演奏していた彼の演奏は実に上手いし、聴衆の心をつかんでいる。さすがはウィーン。僕は一気にここで 演奏をしようと思っていた自分が恥ずかしくなり、あえなく退散。もし機会があればザルツブルグで演奏をしようと思い、一路ザルツブルグへ向かった。
   ザルツブルグはウィーンほど音楽が盛んではなかった。街頭で演奏する人は一人として見かけなかった。僕も街頭で演奏するのは諦め、市内にある小高い丘に登って、そこで一人演奏でもするかと演奏を始めた。せっかくザルツブルグに来ているのだからと、この地を舞台にした映画「サウンド・オブ・ミュージック」 から、エーデルワイスなどを演奏し、また、遠く祖国を思いながら日本の唱歌などを演奏していた。一人で気持ちよく吹いていると、知らない間に犬の散歩やジョギングに来ていたオーストリア人が何人か足を止め、僕のオカリナを聴いていたようだった。皆一様にニコニコしながら色々と話しかけてくれたが 不幸にもドイツ語がわからず、「ダンケ・シェーン」というのが精一杯(笑)。でも、僕のオカリナを気に入ってくれたようだったことは雰囲気でわかった(思いこみかな?)。音楽が国境を越えた瞬間。この瞬間は凄く感動する。昔アメリカでリコーダーを演奏したときも同じ感動をしたが、実に気持ちの 良いものだった。
(2)司法修習生時代
   この夢のような旅行から戻ると、僕は晴れて司法修習生となった。僕の場合は3ヶ月の合同修習の後、静岡地方裁判所へ1年半実務修習に行くことになった。
   実務修習というのは、どこへいってもまず自己紹介から始まる。最初は気の利いたセリフを考え、周りの笑いを誘うことに専念していたが、そのうちもっと強烈にアピールできるものはないかと考え、自己紹介の機会があるごとにスーツのポケットにオカリナを忍ばせていくことにした。
   民事裁判の修習で配属先になった裁判官室の部長判事(女性)がクラシックが大好きで妙に気があった。今度歓迎会をしてくれる・・・というので、「これ幸い」と思い、オカリナをスーツのポケットに忍ばせて会場へ向かった。
   やはり、自己紹介の場があり、僕の番が回ってくる。笑いを誘うトークを若干した後、おもむろにポケットからオカリナを取り出し演奏を始めた。このことは誰にも言ってなかったので、同僚の修習生をはじめ、そこにいた裁判官も皆びっくりしていたが、ディズニーメドレーを楽しそうに吹き始めた僕につられてか、50人近くいたそこの会場の方々の手拍子が始まった。「お~、成功したぞ。うっしっしっし。」目論見は成功だった。演奏後皆さんから拍手を頂き、その後そこでの修習が実に楽しく終えられたのは、まさにオカリナさまさまであった。
   同期の修習生たちは、そのころ結婚ラッシュが始まった。僕の演奏を聴いてくれた同期の連中が、結婚式の披露宴で是非演奏してくれと言い始めた。結局修習生の間に4回ほど披露宴で演奏した。オカリナの音というのは、優しくて穏やかになれるのか、会場に来ていたお年寄りから若い人たち、また子供さんまで みんながオカリナの演奏に喜んでくれた。
   実は、子供時代に僕がなりたかった夢の一つに、エンターテイナーというのがあった。ジャンルは具体的には決めていなかったが、僕一人の言動一つで大勢の人を喜ばせる、そんな仕事に就きたいと思っていた時期があった。でも、自分には何が出来るだろうと思った瞬間、このことは夢と消えたが、 こういうオカリナ演奏の体験を通して、その夢を実現しているかのような錯覚を覚えることがある。実に幸せな瞬間だ。

7 今後

  最近は、仕事の方が忙しく、なかなかオカリナに触ることもなかったが、結婚を境に妻がピアノを弾けることもあって、時々ピアノとオカリナの合奏をしたりしている。実は、こういう生活に密かに憧れていた。又一つ夢が実現したようだ(笑)。
  また、最近HPを通してオカリナ仲間の輪が急に広がったこともあり、再びマイオカリナブームが到来している。オカリナのオフ会があれば是非出席したいと思っているし、みんなと合わせられる機会があれば是非合奏したいという気持ちが沸々と湧いてきている。自分のHPにも自分の演奏を録音してアップしていこう とも思っている。オカリナとつきあい始めて早8年になるが、オカリナ熱はまだまだ当分冷めそうにない。一生の友として、オカリナ的生活を楽しんでいきたい。

H13.9.1

<番外編>
 もともと、小学校時代から、リコーダーが好きでよく吹いていました。ずっと音楽をしていた関係で、曲を聴いたそばから再現することが出来ました。そのうち、1本で吹くことに飽き足らなくなりました(笑)。
 中学に入ると、ソプラノリコーダーとソプラニーノリコーダーを一緒に2本口にくわえて演奏する奏法を編み出しました。ソプラノリコーダーはC管、ソプラニーノリコーダーはF管で、一人でハモらすことができるようになりました。ビゼーの「アルルの女」より、ファランドールをよく演奏しました。
 中学2年の夏休みに、アメリカ西海岸へ、全国の中高生が20人くらい集まって、現地の中学生達と共同生活をするツアーに参加しました。3週間ばかり居ましたが、最後にフェアウェルパーティがありましたので、リコーダーを2本くわえて、アルルの女を演奏しました。大受けでした(笑)。拍手喝采、アメリカ人はこういうのが大好きなんですね。私のエンターテイナー志向は、この時に定まったものと思います(笑)。
 さすがに、オカリナを2本いっしょにくわえて演奏することはできませんが、ダブレットという吹き口が2つある奏法が難しいといわれる楽器にあえて挑戦しているのは、きっとこんなことがきっかけになっているのかも知れません。

H20.9.8

投稿者 ono : 13:54 | コメント (0)

2009年01月21日

笑って泣けたらいいね。

シンガーソングライターとして活躍中の、くるみeeさんhttp://www.myspace.com/kurumieeの代表作「笑って泣けたらいいね」という曲があります。

くるみeeさんから、『小野さんにとっての「笑って泣けたらいいね」のコメントをいただけませんか?』と依頼があり、弁護士としての仕事が正にうってつけと思い、以前コメントを差し上げたことがありました。
とても気に入って頂いたようで、「コンサートでコメントを読ませて頂いてもいいですか?」とのことでしたので、「どうぞ、どうぞ。」と二つ返事をしました。

今回、いろんな方から集められた「笑って泣けたらいいね」のコメントを、くるみeeさんの歌とともに、映像化された旨の連絡を頂きました。

メッセージ特集「わらって泣けたらいいね- 夢・愛の喜び編 -」
http://jp.youtube.com/watch?v=dhAJq6QGICQ

■メッセージ特集「わらって泣けたらいいね- 家族仲間人生編 -」
http://jp.youtube.com/watch?v=MMyXT1WTtUU

■メッセージ特集「わらって泣けたらいいね- やさしさ、人生、他 編 -」
http://jp.youtube.com/watch?v=-YJ9zTL9y4o

私のコメントは、最後の「夢・愛の喜び編」に入っています。
もし、よろしければ、ご覧になってみてください。


なんと、くるみeeさんの音楽やコンサートは、あの「前田憲男」先生がプロデュースされているとのことです。
私を前田先生と引き合わせてくれたのは、実はくるみeeさんでした。人間、どこでどうつながっていくか分からないものですね。

ちなみに、私のコメントとは、以下のようなものでした。

「おのんのん
私は弁護士です。
様々な方達の悩みや問題を引受け、それらを依頼者と解決してきます。
どんな事件も簡単には済まず、
依頼者と二人三脚で、
その難問にあたっていきます。
紆余曲折もあり、
依頼者と意見がぶつかり合いながら、
勝訴判決を勝ち取った時
依頼者と手を取り合って喜ぶ瞬間が、
「笑って泣ける」時だと思います。
その素晴らしい感触を味わうために、
弁護士を続けています。」

くるみeeさんの歌声とともに、お楽しみください。

投稿者 ono : 13:43 | コメント (1)

2008年09月30日

【オカリナ】オカリナの思いで 第2部~第4部まで

前回の第1部から少し時間が空いてしまいましたが、思いの外好評でした。
今日は、
第2部 宗次郎さんのCDを購入
第3部 アルトのC管
第4部 ある庭園で
をお届けします。

楽しんでお読み下さい。

2 宗次郎さんのCDを購入

  購入して1週間程経ち、ある程度吹けるようになると、「プロの演奏家っているんだろうか?」と気になり、また病院帰りにヤマハへ寄り、CDを探した。「いたいた。宗次郎っていう人がいるんだぁ。これは買って聴いてみないと・・・」
  自宅に戻り、早速聴いてみる。実に鮮やかな演奏。買ったのは「アーリー・タイムス」という彼のベストセレクション。1曲目の「道」という曲から頭をガツーンと張られたような衝撃。何と美しいのか・・・。オカリナはこんなに奥深い演奏もできるんだぁ。」 というのが、偽らざる感想。「四季」「心」と僕好みの曲が続く。「思い出の小箱」は実に心にしみ入る感動的な曲だった。早速CDを聴きながら音をとって演奏してみる。我ながら自分の演奏に酔ってしまう・・・(笑)。 何かソロの曲はないかと思い、CDを聴き進めると「小鳥の歌」という曲があった。4曲の無伴奏ソロの組曲であり、まるで小鳥がさえずっているかのような見事な演奏である。 「よし、当面の目標をこの曲にしよう。でも、今持っているF管ではこの音はでないなぁ。ピッコロのC管だったら音が出そうだ。これを手に入れよう。」
  結局、実家にいる間はこれを手に入れる金銭的な余裕がなく、東京に戻ってから手に入れることになる。白色のアケタのピッコロオカリナを手に入れた。

3 アルトのC管

  クラシック好きな僕は、よく中古のCD屋さんへ行っては安くCDを買ってきていた。そのなかのお気に入りの曲でロストロポービッチが弾く、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番という曲がある。 その組曲の中に「ブーレ」という曲があり、実に楽しくもあり、悲しくもあり、懐かしくもなるような曲がある。この組曲を18世紀オーケストラの指揮者として有名な、フランス・ブリュッヘンというリコーダー奏者がアルトリコーダーでレコーディングしているCDを ちょうど手に入れたこともあり、もしかしたらオカリナでも演奏できそうだなと思い、今度はアルトのC管のオカリナが欲しくなった。多少のアルバイト代が出たときに、本を一冊買うのを我慢して楽器を買ってしまった。紫色のアケタのアルトC管。 早速、ブーレを吹いてみる。
  「お~、ブリュッヘンの演奏に近くなってきたぞぉ。」と、一人感動していたものである。
  C管を2種類と、F管の計3本を手に入れ、これで音域的には持ち替えさえすれば何の曲でも吹ける環境が整った。当時の流行りの曲から、ディズニー音楽を自分で勝手にメドレーに編曲したもの、クラシックと、知っている曲を次から次へと毎日のように演奏したものだった。

4 ある庭園で

  東京には、少し下町の方へ行けば、意外にも緑豊かな庭園があったりする。僕はそういう日本庭園が大好きで、暇を見つけては探索をしたりするのだが、この日は門前仲町にある「清澄庭園」という紀伊国屋文左衛門が所有していたという庭園へオカリナを持ってブラッと出かけた。 平成7年の12月ころのお話。そこで吹いたら気持ちいいだろうなぁと思いながら、恐る恐るオカリナを持ち出して吹いている内に、気持ちよくなって一心不乱に吹き始めてしまった。気が付くと背後に人影が・・・ 「やばい。注意されるかな?」と思いながら、振り返ると若い娘さんを連れ立ったお母さんが話しかけてくる。「今演奏していたディズニーの曲、もう一度吹いてもらえませんか?」知らない人に吹いて聴かせるのは初めてのこと。でも、そんなことを言われて嬉しくないはずがなく、 アンコールに応えることにした。彼女たちはいかにも楽しそうに僕の演奏に手拍子を添えてくれる。
  彼女たちにお礼を言われ、その場を後にして庭園内をブラブラしていると、今度はおじいちゃんに声をかけられた。「今度こそ注意をされるのか?」と思いきや、「君がさっき笛を吹いていたのかな?実に良い音色だね。僕は詩を詠むんだが、君の音色を聴いて一句創ったところなんだ。」 と声を掛けてきた。ディズニーの曲を吹く前に、実は宗次郎さんの「思い出の小箱」と「小鳥の歌」を吹いており、その曲に感動したようだった。
  「その歌、僕に聞かせてもらえませんか?」
 と聞くと、一筆書いて僕にプレゼントしてくれた。
  「清澄の 水面を渡る オカリナの 音色を耳に 何をか思わん」
  確か、このような歌だった。感動的な瞬間だった。僕の演奏が人の心を揺さぶっただなんて。 そのおじいちゃんにお礼の気持ちを込めて、「思い出の小箱」を再び演奏した。
  そのうち、その庭園に遊びに来ていたいろんな人が、「いいわねぇ。」「いい気持ちになったよ。」なんてことをわざわざ声を掛けに来てくれ、嬉しい一日だった。

投稿者 ono : 18:47 | コメント (2)

2008年07月10日

【オカリナ】オカリナの思いで 第1部 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)

PC内のデータの整理をしていたら、平成13年当時、プライベートのHPに掲載していた、「オカリナ」という土笛についての思いをつづった文章が出てきました。余りにも懐かしく、私の受験生時代のほろ苦い思い出などもつづられており、なかなか面白い文章だったので、ここに再掲してみることにします。
7部構成になっていますので、1回に付き1部ずつということで(笑)。

ちなみに、目次は以下のようになります。

第1部 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)
第2部 宗次郎さんのCDを購入
第3部 アルトのC管
第4部 ある庭園で
第5部 ダブレットとの出会い
第6部 ダブレットくん大活躍
(1)ウィーン・ザルツブルグにて
(2)司法修習生時代
第7部 今後

では、第1部をお楽しみください。

1 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)
  それは、平成5年9月ころ。僕はその頃司法試験受験生。なかなか択一試験(司法試験の最初に行われるマークシート式の足切り試験) に通らず、大学を卒業して3年目ということもあり、その年の択一試験の失敗の報告を両親にしたところ、しびれを切らした父親が「もうやめてしまえ。浜松に戻って就職をしろ。能力がないのなら、これ以上やっていても時間の 無駄だ。」と雷を落としてきた。今から思えば「愛の鞭」である。
  自分自身勢い込んで受験を始めたものの、なかなか合格する兆しが見えず、少しばかり迷っていた時期でもあったため、 この言葉には堪えた。
  それからというもの、ご飯は喉に通らず、睡眠もおぼつかず、ストレスばかりが溜まり、僕の心と身体は日増しに衰弱していった。 夏になり、大学時代に所属していた「法友会」という法律サークルからお呼びがかかり、夏合宿のチューターとして合宿に参加して くれないかとの要請。気分転換とばかりに参加することにした。
  合宿では大学生相手に「どちらかがぶっ倒れるまでやるぞ。」と気合いを入れてゼミを行った。3泊4日のゼミだったが 2日目の夜に後輩相手に酒を飲んでいると突然足が立たなくなってきた。「おかしいなぁ。お酒を飲んでこんな風になったことはないんだけどなぁ」 などと思いながら、布団の上に倒れ込むようにして横になり、その日は寝た。
  翌朝、食事の時間だというので布団から出ようとすると「あれ?起きあがれないぞ。腹筋が全くきかないぞ。おいおい、誰か起こしてくれないかぁ。」 と助けを呼ぶも誰も冗談を言っていると思って相手にしてくれない。食事時になっても全く食事部屋に降りてこない僕を心配して後輩達が様子を 見に来てくれた。
 「小野さん、冗談じゃなかったんですね。」
  結局、「どちらかがぶっ倒れるまで」ゼミは、僕がぶっ倒れてしまった。
  その後、少しも快方に向かわないので、宿の人が病院を紹介してくれ、後輩に担がれて一路病院へ。色々と検査をしたあげく、お医者さん曰く
 「これはヤバイですなぁ。」
 「どうやばいんですか?」
 「あなたの症状は、ギラン・バレー症候群といって、下半身から徐々に神経が麻痺する病気に似ています。このまま放っておくと、麻痺が上半身に及んで 呼吸器官も麻痺します。そうしたら、人工呼吸器を付ける手術をしなければなりません。今すぐ入院を要します。親にすぐにでも来てもらうよう手配をしますから、連絡先を教えてください。」
 「え????呼吸器官が麻痺したらどうなるの?死んじゃうの?うそ~~~」
  「大丈夫です。この病気で何人かは退院をされている人もいます。頑張りましょう。」
「え???何人かは・・・ということは、そうじゃない人もいるということ・・・???ガーーーーン」
 ナースセンターの隣の病室に入院。身体の麻痺はドンドンひどくなってくる。クーラーは体に悪いからとつけてくれない。暑いからと言って汗も拭えない。 のどが渇いたからといって冷たいものも飲めない。ベッドの上で身体が痛いからといって寝返りも打てない。変な話、おしっこがしたいからといってトイレにも行けない。尿瓶を不自由な体で一生懸命に 操ってやっとの思いで用を足す始末。看護婦さんは、僕の顔を見に来るたびに「息苦しくないですか?苦しくなったらすぐにでもコールしてくださいね。」と言ってくる。 苦悶の一日が明け、ようやく両親が病院に到着。親は医者から説明を聞いたのか真っ青な顔をしているが、僕を気遣うためか引きつりながらも冗談を言ったりしてくれた。 親の顔を見てホッとしたのか、なんだか急に息苦しくなってきた。
  「あっ、とうとう呼吸器官の麻痺が来たのか・・・・」 あわててナースコール。看護婦さんがあわてて酸素マスクを用意してくれ、僕の口にあてがってくれる。 先生が飛んでくる。
  「あ~、俺の命もこれまでか・・・」
  なんだか、いろんな思い出が頭の中を走馬燈のようにグルグル回り始め、それとともに、目尻にジワッと 涙が落ちる・・・ 死を覚悟した瞬間であった。
  そのまま、酸素マスクの影響なのか、薬の影響なのかわからないが、ぐっすり眠りに入ったようで、目が覚めたら明け方になっていた。 なんだか、身体が昨日までよりも軽くなっている。これはもしかしたら起きあがれるかも知れない・・・ 腹筋に力を入れてみると、起きあがることが出来た。もしかしたら、立ち上がれるかも知れない・・・壁に捕まりながらも立ち上がってみると立てた。
  「おっ!立てた。立てた。足が動くよ。歩けるよ。」
  ろくに睡眠もとらずに付き添ってくれた父親に子供のようにはしゃぎながら叫んでいた。いや~、この時ほど2本の足で立てる幸せを感じたことはないし、 生きていると実感した瞬間もない。本当に嬉しい一瞬だった。まず最初にしたことは、点滴をつけたまま、看護婦さんに内緒でトイレに行ったことだった。 翌日、お医者さんから説明を受けると、「栄養不良と脱水症状からくる麻痺です。特に血液中にカリウムが欠乏していました。 カリウムの点滴をしたところ、効果てきめんでしたね。カリウムというのはバナナに入っていますから、よく食べるようにして下さい。もう1日様子を見て、明日退院ということにしましょう。 よかったですね。」
  うん、本当に良かった。一時は死をも覚悟したが、実は栄養失調のようなもの。そういえばこの頃は、勉強の本を買い込むにも「もうやめろ」と言われていたために 親にお金を出してもらうようにお願いすることも出来ず、アルバイトをしながら勉強をし、食事代に困って毎食食パンだけをひたすら食べたり、友達からお米をもらって納豆ばかりをおかず 代わりにしていた時期でもあった。当の本人はダイエットにもなるぞなんて思いながら、減り続ける体重に喜んだりしていたのであるが、実はそれがやばかったようだ。80キロを超える体重が、 当時見る見るうちに65キロを切るまでに至っていた。
  その後、栄養をつけるべく、また、気分転換と静養を兼ねて、実家に1ヶ月戻ることにした。浜松に専門の病院があるとのことで、そこで検査を受けながらの静養。 この病院の近くに、ヤマハのお店がある。ここは、僕が中学・高校のころ、楽器(トロンボーン)欲しさに良く通ったところだ。結局見てるだけで終わったが・・・
  久しぶりに管楽器のコーナーへ足を運んでみる。その日、偶々そのコーナーではBGMでオカリナの演奏がかかっていた。
 「良い音色だなぁ。何の楽器だろう?」
  店員さんに聞いてみると、オカリナだという。「今はオカリナのフェアをやっています。興味があったら見ていきますか?」と言われ、オカリナのコーナーへ。 いろんなオカリナが置いてあった。可愛らしい、愛嬌のある楽器で、なんだか見た瞬間オカリナに僕の目が釘付けになってしまった。まるで僕を呼んでいるかのように感じた。
  そうなると、もういても立ってもいられない。値段を見たら4000円ほどであっため、財布の中味と相談しかろうじて買えるだけのお金が入っていた。
  「これはもう買うべし」
  即買いをし、家に持ち帰る。アケタのオカリナでF管のもの。色は黄色。小学校の頃からリコーダーが大好きで良く吹いていた。オカリナもその要領で結構吹けた。最初の1時間くらいは指使いがリコーダーと若干違う ため戸惑ったりしたが、それも覚えると簡単な曲であれば殆ど吹けるようになっていた。
  「これはいい。リコーダーのようにつばが溜まることもないし、音色も柔らかくて実に良い音色だ。」
  それからというもの、毎日時間さえあればオカリナを吹く日々。
  もし、僕が合宿中に倒れなかったら、オカリナと出会うことはなかったろうし、仮にあったとしても相当出会うのが遅れていただろうなぁ。いわば、怪我の功名である。 その後、僕の苦しい受験生活にオカリナが一服の清涼剤となっていってくれたのである。

投稿者 ono : 18:17 | コメント (3)

2007年10月09日

クロマチックハーモニカ

昨日、私が師事する、クロマチックハーモニカの「早川真琴」先生の門下生による発表会が、岩槻の「fu fu fu」というレストランで行われ、私も出演してきました。

久しぶりの人前での楽器演奏でした。
以前は、よくオカリナを吹いていました。友人・知人の結婚式では必ず演奏していました。
最近は、皆結婚してしまいましたので、呼ばれなくなりましたが・・・(笑)。

今年の5月ころから、クロマチックハーモニカを始めました。
オカリナよりボディが小さいこと、3オクターブという広範囲の音域を持つこと、重音奏法ができること(和音が出ること)、何となく格好いいこと(笑)等から、練習を始めたものの、最初の頃は、ろくに音すら出ず、甘く見ていたことをよく反省させられました。

無事、教本も1冊終わり、一通りの奏法もマスターし、いざ発表会を向かえました。

ピアノ伴奏は妻にお願いし、二人で色々な曲を試演しながら選曲したところ、ドヴォルザークの「ユーモレスク」で意見が一致し、それを演奏しました。

会場入りがギリギリになり、リハーサルができなかったアクシデントがあったものの、無事演奏し終えることができ、楽しい発表会となりました。もっとレパートリーを増やし、人前で定期的に演奏できる機会があると嬉しいなぁと思います。

全員の演奏後、懇談の時間になりましたが、来ていた子供を捕まえて、マジックショーになってしまったのは言うまでもない・・・(笑)。

投稿者 ono : 16:59 | コメント (2)

2006年06月15日

何故かドン・ジョバンニについての講演?

今晩、8時過ぎから、静岡市の「すみや」(静岡県最大手のCD屋さん)主催の音楽サークルにて、講演を行います。

題材は、モーツアルトの有名なオペラ「ドン・ジョバンニ」。
主人公ドン・ジョヴァンニは、数々の問題ある行動を劇中に犯すが、それらが現代の刑法に照らすと、罪になるのかどうか。

ちなみに、オペラの中では、ドン・ジョバンニは、騎士の石像によって地獄へ落とされることになる。特に劇中に裁判があるわけではない。

ドン・ジョバンニは、10年くらい前にビデオで見て以来、殆ど見ていなかった。当時は、修習生で時間があったので、よくオペラのLDを借りてきては見ていたものだ。弁護士になってからは、すっかりご無沙汰。

今回、久しぶりに当時みたビデオを引っ張り出してみたが、実に面白いし、風刺も効いている。音楽も素晴らしく、フルトヴェングラー指揮のウィーンフィルの演奏にもうっとりしてしまった。

ついつい音楽の方に気をとられつつ、筋を追いながら、問題点を整理し、犯罪性の検討をしていった。色々と考えていくと、劇中ではそもそも事実がぼやかされており、犯罪性の検討をするためにはぼやかされた事実がなんなのかを突き止める必要がでてきて、その事実認定を行ったり(・・・本業の血が騒ぐ・・・笑)、そんなことをしていると、ますます、このオペラで使われているシナリオが良くできているし、奥が深いなぁと感心させられる。

色々と考えながら、レジュメを作成しました。今晩の講演が終わりましたら、近日中にアップしてみたいと思います。

投稿者 ono : 10:14

2004年08月11日

ディジュリドゥ

ハテ?何のことだろう?と思うでしょう。
僕もつい最近まで知らなかった。世界最古の管楽器である。

先日まで、家族でオーストラリアのケアンズへ行って来ました。
おみやげ物屋さんに行くと必ずおいてある、筒状の長い木に、不思議なペイントがされている。
「ぼうわ~ん、びいゆ~ん」と、不思議な音がどこからともなく聞こえてくる。あたりを見渡すと、お店の人が、その筒状の木に口をあてて、格好良さげに吹いているではないか・・・
そう、それが世界最古の楽器。オーストラリアの原住民、アボリジニの人たちが数千年前から使っていた楽器。
どうやって、その楽器を作るのかと思ったら、シロアリの蟻塚に、ちょうど良い長さのユーカリの木を差し込み、シロアリに木の中の柔らかい部分を食べてもらって空洞にし、吹き口に蜜蝋をぬって吹きやすくするという、何とも原始的な作成方法。あとは木の表面を磨いて、アボリジニ特有の絵などを描いて装飾するのだそうだ。

僕は、小学校以来ブラスバンドに入っていて、ずっとトロンボーンを吹いていたので、こういう吹奏楽器をみると、知らずのうちに血湧き肉躍ってしまう(笑)。
早速、お店の人に楽器を借りてトライ。さすがに一発では音がでなかったが、少しするとコツがわかって音が出た。
お店の人に模範演奏をしてもらったら、その音がまた実に深みがあり、不思議でもあり、何ともいえない快感のようなものを感じ、またその吹く姿が実に格好良く見えてしまった。
ということで、急にその楽器が欲しくなり、思わずゲット(笑)。

そういえば、国内外を問わず、珍しい地方特有の楽器があると、どうしても挑戦したくなってしまい、買ってしまう・・・
オカリナ、ケーナ、ムックリ(アイヌの楽器)等々。
ディジュリドゥの音は、どことなく、このムックリの音に似ていたような気がするが、気のせいだろうか・・・

お店の人に、日本でもディジュリドゥ奏者として活躍している人がいるということを教えてもらい、その方のHP(哲Jさん)に行ってみた。
フムフム、個人指導もしているのか・・・・(へへへ)

ということで、また日常の楽しみが増えた(笑)。

<哲JさんのHP>
http://www.tets-j.com/

投稿者 ono : 23:15

2004年07月26日

ギタリスト 村治佳織

結婚後に、約2年ほど、ギターの師匠(鈴木豊先生)についてギターを習ったことがある。その時は、ギターの魅力にはまり込み、今まで殆ど聞かなかったギター曲のCDを買い漁ったものだ。
手先の器用な日本人は、ギターが得意なようで、邦人ギタリストにもそうそうたるメンバーがいることがよくわかる。最近では、木村大くんの超絶技巧ぶりが話題を呼んでいる。

そんな中、村治佳織さんのギターは、とても好感が持てる。
私がまだ司法試験の受験生をしていたときに、彼女がデビューし、可愛らしいギタリスト現ると言った感じで、どちらかというとビジュアル系的な扱いをされていたように思う。一度チケットをとったが、模擬試験と重なり行けなかった記憶がよみがえる。
彼女のギターは、とてもみずみずしく、さわやかで、かつ、上手い。何枚か買って聴いているうちにすっかり虜になってしまい、今はほぼすべてのCDを買って愛聴している。

そんな彼女が、いよいよ世界の一流レーベル「デッカ」から世界デビューした。Transformations というタイトル。そのタイトルの意味するところは、「日本の村治から、世界のMurajiへ」、と言ったところだろうが、我々ギターファンであり、村治ファンからすれば、イチローや松井のメジャー移籍と同じくらい感動的で、かつ、喜ばしい。

彼女の今後の活躍をますます祈るばかりである。

<関連記事>
http://www.universal-music.co.jp/classics/kaori_muraji/discography.html

投稿者 ono : 23:12

2004年07月22日

カルロス・クライバー逝去

クライバーが亡くなった。
実に残念なニュースである。
彼ほど、僕の心を捉えて離さなかった指揮者は、他にはテンシュテットをおいていない。
クライバーのベートーベン(5番、7番)のグラモフォンから出ているレコードに嵌って以来、今日に至るまで、彼の正規盤はもちろんのこと、海賊盤も探し回っては買い漁ったものだ。
彼の映像を見て惚れ惚れし、演奏を聴いて惚れ惚れし、我が青春の一ページを間違いなく彼の音楽は占めている。
彼の紡ぎ出す音楽の心地よさ、興奮、聞き終わった後の爽快感、どれをとっても天才だった。
一度生で聴きたかったが、適わなかった。
今日は、クライバーの音楽を聴きながら、お通夜をしよう。
合掌。

<関連記事>
http://www.asahi.com/culture/update/0720/004.html

投稿者 ono : 23:08