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2008年07月28日
【ガッシュ訴訟】第1回口頭弁論報告!
本日、午前11時30分より、東京地裁522号法廷にて、ガッシュ裁判の第1回口頭弁論が開かれました。
傍聴にいらして頂いた方、本当にお疲れ様でした。
聞くところに寄りますと、開門前から並んでおられた方がおられたそうで、午前9時5分には、既に31席の傍聴席は満席になったということでした。雷句さんに人気の高さ、この裁判の注目度の高さがよくわかりました。
さて、開廷前、2分間のテレビカメラによる撮影の後、時刻通りに事件番号の読み上げとともに開廷。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00137564.html
(ここでFNNのニュースと法廷の模様が見られます)
雷句さんによる意見陳述が始まりました。
漫画原稿の価値に絞り、自ら描かれたカラー原画を2点、両手に示しながらの名演説でした。
この原画のうちの1枚は、「金色のガッシュ!!33巻」の表紙になったもので、ファンからすればそのカラー原画を生で見られたわけですから、感動の一幕だったことでしょう。
意見陳述の原稿については、おそらく雷句さんが自らのブログにアップされると思いますので、そちらをご参照ください。
さて、その後、訴状の陳述と、小学館による答弁書の陳述。陳述といっても、書面を読み上げるわけではなく、「書いたとおりに陳述します。」と述べるだけ。ここが民事裁判のわかりにくいところなのだと思います。
ところで、小学館の答弁の内容とは・・・・・
小学館は、こちらが指摘した、紛失についての預かった原稿の余りにも杜撰な管理体制をも「認める」と答弁するなど、全面的に非を認める答弁をしてきました。また、雷句さんが紛失によって精神的苦痛を感じたことも認めてきました。
潔いというか、そう答弁するしかないというか、拍子抜けというか、何とも複雑な心境ですが、答弁そのものには誠意が見られたと思います。
なお、紛失された原画のポジフィルムは、近日中に小学館から直接返還を受ける手はずになりました。
答弁書の最後に、小学館側のまとめが付されており、以下のように書かれておりました。
「被告は、原稿返却ができないことの責任を争う意思はなく、合理的な賠償をしなければならないと考えている。しかし、漫画原画の財産的価値について一概にいうことができず、精神的苦痛に対する相当額の慰謝の判定も困難であって、甲8の2による被告の提案は必ずしも不合理ではない。裁判所のご意見もお聞きして早期に妥当な解決に至りたいと希望している。」
事実面において、争いがない以上、基本的に今後は「和解」の話になっていくことになります。
ただし、単なる金額のすりあわせの問題に終始してしまっては、ここまでいろんな漫画関係者に注目してもらった手前、また、雷句さん自身が後に続く漫画家のための道しるべになるべく本訴を提起した目的も果たせなくなってしまいますので、本件和解の内容が、後に続くリーディングケースになるような内容の和解内容にしたいと思っていますし、そのために知恵を絞っていきたいと考えています。
それなりの案は、私の頭の中にありますが、皆様方のご意見を頂きながら、よりよいものを練り上げていこうと思います。
今後とも、本裁判を見守って頂けるよう、よろしくお願いします。
次回は、9月22日午後1時30分から、東京地裁606号法廷です(法廷が変わります)。
また、期日が近づきましたら、ご案内します。
2008年07月25日
【ガッシュ訴訟】7/28 第1回口頭弁論
いよいよ、月曜日、ガッシュ訴訟の裁判が始まります。
皆様に注目して頂き、本当に有り難いことです。
午前11時30分より、東京地裁522号法廷で行われます。
傍聴情報ですが、当日は靖国訴訟と重なり、裁判所の職員の手配が間に合わないということで、ガッシュ裁判については、傍聴券は発行されず、先着順ということになりました。
合計42席あるそうですが、そのうち11席が司法記者クラブの記者の方で埋まっており、残りの31席を巡っての先着順ということになります。
522号法廷の前に、この事件の担当書記官が待機していますので、その方の指示に従って、並んで頂くことになります。
何分、31席しかありませんので、当日は相争うことなく、裁判所に迷惑がかからないようにお願いいたします。
当日の裁判の予定としましては、こちら側の訴状陳述、小学館側からの答弁書の陳述、そして、メインは雷句誠本人による、意見陳述という格好になります。
なお、審理が始まる前に、テレビカメラが入ります。おそらく、当日の夕方、或いは夜のニュースで流れるのでしょう。傍聴席は映りませんので、ご安心ください。
裁判の模様、小学館の答弁の内容、今後の展開等につきましては、第1回口頭弁論終了後に報告させて頂きます。
2008年07月20日
誕生日&ジャパンカップ功労賞(マジック)
7月19日に誕生日を迎えた。40歳の大台に載ってしまった。
おそらく、依頼者の方々からは、「まだ30代だったんですか?」なんて言われそうですが(笑)。
直メールや、mixiを通じて、お祝いのメッセージをたくさん頂きました。ここにお礼を申し上げます。ありがとうございました。
そして、嬉しいニュースがありました。
JCMA(日本クロースアップ・マジシャンズ協会http://www.jcma.biz/)が、8月10日に開催される「japan cup 2008」の受賞者を発表しました。なんと功労賞に選んで頂きました。民事・刑事の両方において、マジックに関する裁判を手がけたことが受賞理由です。光栄なことです。以下が、受賞者の方々です。
◎マジシャン・オブ・ザ・イヤー
渚 晴彦 (なぎさ はるひこ)
◎功労賞
小野 智彦(おの ともひこ)
◎著述・放送文化賞
Dr.レオン
◎ベスト・クロースアップ・マジシャン
Lu Chen (りゅう・けん)(台湾)
◎マジックサークル・フェローシップ
高橋隼史(たかはしはやふみ)
敬称略
http://www.smilelife.biz/JapanCup2008b.htm
ちなみに、受賞理由のところをコピペします。素敵な誕生日プレゼントです。
功労賞
小野 智彦(おの ともひこ)
東京弁護士会所属。いわゆるギミックコイン事件(貨幣損傷等取締法違反および関税法違反被告事件)にて起訴されたマジシャンの弁護を担当。2007年3月6日の東京地方裁判所での初公判に始まり、同年8月13日からの東京高等裁判所での控訴審、さらには最高裁判所への上告と、マジシャンの権利を守るために徹底した弁護活動を献身的に続けられた。マジック関連の案件を最高裁で争うことになれば、日本のマジック史上初の出来事となる。一方、この事件を報道したテレビ局2社に対して、事件とは関係のない種明かしを報道番組の中で行ったとして、ギミックコイン所有者に対する財産権侵害を理由とする損害賠償およびマジシャンに対する名誉権、人格権侵害を理由とする損害賠償及び謝罪を求める裁判を2007年5月1日、東京地方裁判所に提訴し、同時に同司法記者室にて記者会見を行った。原告団第1陣は49名、第2陣は56名。その行動を通してマジシャンのみならず一般の人々に対してもマジックの文化的価値を啓蒙したことは後世に残る偉業である。
2008年07月10日
【オカリナ】オカリナの思いで 第1部 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)
PC内のデータの整理をしていたら、平成13年当時、プライベートのHPに掲載していた、「オカリナ」という土笛についての思いをつづった文章が出てきました。余りにも懐かしく、私の受験生時代のほろ苦い思い出などもつづられており、なかなか面白い文章だったので、ここに再掲してみることにします。
7部構成になっていますので、1回に付き1部ずつということで(笑)。
ちなみに、目次は以下のようになります。
第1部 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)
第2部 宗次郎さんのCDを購入
第3部 アルトのC管
第4部 ある庭園で
第5部 ダブレットとの出会い
第6部 ダブレットくん大活躍
(1)ウィーン・ザルツブルグにて
(2)司法修習生時代
第7部 今後
では、第1部をお楽しみください。
1 オカリナとの出会い(受験生時代の思い出と共に)
それは、平成5年9月ころ。僕はその頃司法試験受験生。なかなか択一試験(司法試験の最初に行われるマークシート式の足切り試験) に通らず、大学を卒業して3年目ということもあり、その年の択一試験の失敗の報告を両親にしたところ、しびれを切らした父親が「もうやめてしまえ。浜松に戻って就職をしろ。能力がないのなら、これ以上やっていても時間の 無駄だ。」と雷を落としてきた。今から思えば「愛の鞭」である。
自分自身勢い込んで受験を始めたものの、なかなか合格する兆しが見えず、少しばかり迷っていた時期でもあったため、 この言葉には堪えた。
それからというもの、ご飯は喉に通らず、睡眠もおぼつかず、ストレスばかりが溜まり、僕の心と身体は日増しに衰弱していった。 夏になり、大学時代に所属していた「法友会」という法律サークルからお呼びがかかり、夏合宿のチューターとして合宿に参加して くれないかとの要請。気分転換とばかりに参加することにした。
合宿では大学生相手に「どちらかがぶっ倒れるまでやるぞ。」と気合いを入れてゼミを行った。3泊4日のゼミだったが 2日目の夜に後輩相手に酒を飲んでいると突然足が立たなくなってきた。「おかしいなぁ。お酒を飲んでこんな風になったことはないんだけどなぁ」 などと思いながら、布団の上に倒れ込むようにして横になり、その日は寝た。
翌朝、食事の時間だというので布団から出ようとすると「あれ?起きあがれないぞ。腹筋が全くきかないぞ。おいおい、誰か起こしてくれないかぁ。」 と助けを呼ぶも誰も冗談を言っていると思って相手にしてくれない。食事時になっても全く食事部屋に降りてこない僕を心配して後輩達が様子を 見に来てくれた。
「小野さん、冗談じゃなかったんですね。」
結局、「どちらかがぶっ倒れるまで」ゼミは、僕がぶっ倒れてしまった。
その後、少しも快方に向かわないので、宿の人が病院を紹介してくれ、後輩に担がれて一路病院へ。色々と検査をしたあげく、お医者さん曰く
「これはヤバイですなぁ。」
「どうやばいんですか?」
「あなたの症状は、ギラン・バレー症候群といって、下半身から徐々に神経が麻痺する病気に似ています。このまま放っておくと、麻痺が上半身に及んで 呼吸器官も麻痺します。そうしたら、人工呼吸器を付ける手術をしなければなりません。今すぐ入院を要します。親にすぐにでも来てもらうよう手配をしますから、連絡先を教えてください。」
「え????呼吸器官が麻痺したらどうなるの?死んじゃうの?うそ~~~」
「大丈夫です。この病気で何人かは退院をされている人もいます。頑張りましょう。」
「え???何人かは・・・ということは、そうじゃない人もいるということ・・・???ガーーーーン」
ナースセンターの隣の病室に入院。身体の麻痺はドンドンひどくなってくる。クーラーは体に悪いからとつけてくれない。暑いからと言って汗も拭えない。 のどが渇いたからといって冷たいものも飲めない。ベッドの上で身体が痛いからといって寝返りも打てない。変な話、おしっこがしたいからといってトイレにも行けない。尿瓶を不自由な体で一生懸命に 操ってやっとの思いで用を足す始末。看護婦さんは、僕の顔を見に来るたびに「息苦しくないですか?苦しくなったらすぐにでもコールしてくださいね。」と言ってくる。 苦悶の一日が明け、ようやく両親が病院に到着。親は医者から説明を聞いたのか真っ青な顔をしているが、僕を気遣うためか引きつりながらも冗談を言ったりしてくれた。 親の顔を見てホッとしたのか、なんだか急に息苦しくなってきた。
「あっ、とうとう呼吸器官の麻痺が来たのか・・・・」 あわててナースコール。看護婦さんがあわてて酸素マスクを用意してくれ、僕の口にあてがってくれる。 先生が飛んでくる。
「あ~、俺の命もこれまでか・・・」
なんだか、いろんな思い出が頭の中を走馬燈のようにグルグル回り始め、それとともに、目尻にジワッと 涙が落ちる・・・ 死を覚悟した瞬間であった。
そのまま、酸素マスクの影響なのか、薬の影響なのかわからないが、ぐっすり眠りに入ったようで、目が覚めたら明け方になっていた。 なんだか、身体が昨日までよりも軽くなっている。これはもしかしたら起きあがれるかも知れない・・・ 腹筋に力を入れてみると、起きあがることが出来た。もしかしたら、立ち上がれるかも知れない・・・壁に捕まりながらも立ち上がってみると立てた。
「おっ!立てた。立てた。足が動くよ。歩けるよ。」
ろくに睡眠もとらずに付き添ってくれた父親に子供のようにはしゃぎながら叫んでいた。いや~、この時ほど2本の足で立てる幸せを感じたことはないし、 生きていると実感した瞬間もない。本当に嬉しい一瞬だった。まず最初にしたことは、点滴をつけたまま、看護婦さんに内緒でトイレに行ったことだった。 翌日、お医者さんから説明を受けると、「栄養不良と脱水症状からくる麻痺です。特に血液中にカリウムが欠乏していました。 カリウムの点滴をしたところ、効果てきめんでしたね。カリウムというのはバナナに入っていますから、よく食べるようにして下さい。もう1日様子を見て、明日退院ということにしましょう。 よかったですね。」
うん、本当に良かった。一時は死をも覚悟したが、実は栄養失調のようなもの。そういえばこの頃は、勉強の本を買い込むにも「もうやめろ」と言われていたために 親にお金を出してもらうようにお願いすることも出来ず、アルバイトをしながら勉強をし、食事代に困って毎食食パンだけをひたすら食べたり、友達からお米をもらって納豆ばかりをおかず 代わりにしていた時期でもあった。当の本人はダイエットにもなるぞなんて思いながら、減り続ける体重に喜んだりしていたのであるが、実はそれがやばかったようだ。80キロを超える体重が、 当時見る見るうちに65キロを切るまでに至っていた。
その後、栄養をつけるべく、また、気分転換と静養を兼ねて、実家に1ヶ月戻ることにした。浜松に専門の病院があるとのことで、そこで検査を受けながらの静養。 この病院の近くに、ヤマハのお店がある。ここは、僕が中学・高校のころ、楽器(トロンボーン)欲しさに良く通ったところだ。結局見てるだけで終わったが・・・
久しぶりに管楽器のコーナーへ足を運んでみる。その日、偶々そのコーナーではBGMでオカリナの演奏がかかっていた。
「良い音色だなぁ。何の楽器だろう?」
店員さんに聞いてみると、オカリナだという。「今はオカリナのフェアをやっています。興味があったら見ていきますか?」と言われ、オカリナのコーナーへ。 いろんなオカリナが置いてあった。可愛らしい、愛嬌のある楽器で、なんだか見た瞬間オカリナに僕の目が釘付けになってしまった。まるで僕を呼んでいるかのように感じた。
そうなると、もういても立ってもいられない。値段を見たら4000円ほどであっため、財布の中味と相談しかろうじて買えるだけのお金が入っていた。
「これはもう買うべし」
即買いをし、家に持ち帰る。アケタのオカリナでF管のもの。色は黄色。小学校の頃からリコーダーが大好きで良く吹いていた。オカリナもその要領で結構吹けた。最初の1時間くらいは指使いがリコーダーと若干違う ため戸惑ったりしたが、それも覚えると簡単な曲であれば殆ど吹けるようになっていた。
「これはいい。リコーダーのようにつばが溜まることもないし、音色も柔らかくて実に良い音色だ。」
それからというもの、毎日時間さえあればオカリナを吹く日々。
もし、僕が合宿中に倒れなかったら、オカリナと出会うことはなかったろうし、仮にあったとしても相当出会うのが遅れていただろうなぁ。いわば、怪我の功名である。 その後、僕の苦しい受験生活にオカリナが一服の清涼剤となっていってくれたのである。
2008年07月09日
【マジック裁判・民事】尋問実施!!
昨日、東京地裁にて、マジック裁判のクライマックスである、藤山新太郎さんの本人尋問が行われました。
この尋問は、多くの方が気に掛けて下って人気事件となり、傍聴券発行事件となりました。朝早くから、多くの方が裁判所前で、傍聴券をもらうために並んで頂き、誠にありがとうございました。
日本奇術協会からは、笑太夢さんが、また、日大の神部先生も傍聴にいらしてくれました。
前回の裁判で、手品の実演を申請し、却下されてしまいましたが、この藤山さんの尋問の中で、どうしてもせざるを得ないような状況に持ち込み、この事件の端緒ともなった「パンクチャー」の実演を企み、事前に藤山さんとネタ合わせをし、本番に臨みました。
尋問の内容は、後世に語り継がれるような、非常に熱のこもったものでした。
これまで数々の種明かし番組に対して、一人で抗議をし、謝罪文と和解書を勝ち取ってきた藤山新太郎さんが、なぜ今回はそれをしないで本訴を起こしたのか(謝罪文と和解書を勝ち取った方法についても、尋問の中で種明かしがされました。実にお見事な方法でした。)、テレビ局の今回の報道において、具体的にどういう点に問題点があるか、テレビ局が手品という芸能をどれだけ理解していないで放映しているのか、等々、手品を愛する方が聞いたら、涙を流して聞き入ってしまうような、素晴らしいお話しが聞けました。
お話しの内容は大部に及ぶもので、今、裁判所の方で録音された内容を反訳しているところです。いずれ、何らかの形で皆さんの目に映るような形にしたいと思っています。
結局、パンクチャーの実演が叶いました。この「パンクチャー」は、日本のマジシャンが使い方を誤った(穴の空いた100円玉をお土産として観客にプレゼントした、また売る方も格安で穴の空いた100円玉を大量に販売した)ことによって、今回のような不幸が起きてしまったネタでした。そう言う意味では、もっと売る方も買う方も演じる方も慎重にならなければならなかったように思います。「売れればよい」「受ければよい」という考え方を、手品界でも見直さなければなりませんね。
ということで、次回が、最終回となります。9月2日午後1時30分から、615号法廷です。
これまでのまとめの書類(最終準備書面といいます)を、私の方で作成し、それを提出するという形になります。