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2008年02月12日
「私の命です」のお婆ちゃん(続編)
先日、「私の命」とおっしゃって息を引き取ったお婆ちゃんの元夫が、そのお婆ちゃんを追うようにして他界した。
実は、この方、私が顧問を務めていた出版会社の社長さん。経営が傾き始めた時期に私が顧問に就任し、かれこれ7年くらいになろうか。
ワンマンの強面社長として、出版業界では有名だった。
経営が傾き始めれば当然にお金はなくなる。製版や印刷の仕事に納得がいかないと、その代金を支払わない・・・という手法をとり、そのために裁判になって私が出ていく事もしばしばあった。
確かに、裁判を担当したときにみた、本の内容は、「誰が買うんだ?」というようなデザインであり、内容であったため、このような事態になるのもやむを得ないと思うが、もともと安い料金で製版や印刷をやってもらっていることから、業者さんのモチベーションの問題としてもやむを得ないのかなとも思ったりしていた。
とはいえ、本の世界は、インターネット全盛の中、よっぽどの本を作らない限り、不況から抜け出せないままのようだ。
そんな社長(今年83歳)も、私の前では、実に好々爺であり、何かにつけては事務所に電話がかかってきた。「先生、最近電話くれないけど、元気なの?」「たまには一緒にご飯でも食べましょうよ。」「ちょっと腹の立つ一件があったので、聞いてくれませんか?」等々。泣く子も黙る強面社長の面を私は最後までお目にかからずじまいだった。
この社長、お父様は有名なコックであり、皇族御用達のホテルの料理長だった。若くして亡くなったようだが、その折りの葬儀は、それはそれは壮大だったとのこと。まだ、戦前の話し。
社長は、海軍のある研究所に配属。無線等を操っていたそうだ。良く、戦艦大和の話などもしていただいたが、残念ながら余り覚えていない。
戦後は、台湾生まれで中国語がしゃべれるとのことで、中国や韓国を相手に貿易(といっても薬の闇取引のようなもの)を行い、大もうけしたり、大損をしたり・・・
そんななんか、例のお婆ちゃんと知り合ったそうだ。そのお婆ちゃんは、ある地方の名士の出で、大変なお金持ちだった。結婚するや、お婆ちゃんの実家から、高級外車を買ってもらい、昭和20年代にして、外車を乗り回していたそうだ。
そんな破天荒な社長だったため、そのお婆ちゃんは相当苦労したようだ。お金がなくなると、お婆ちゃんの実家から引っ張るわ引っ張るわ。結局、この関係は、双方が亡くなる間際まで続く事になる。
酒はやらないが、若い頃は無類の女好きだったようだ。お婆ちゃんは、離婚して20年以上経つにもかかわらず、社長の入院先に会社の事務の女性が見舞いに来ているだけで、「囲ってるんじゃなかろうか・・・」と、怒っていた。もしかしたら、焼き餅だったのかも知れない・・・
この二人、顔を合わせれば喧嘩をしていた。私の前でも罵りあいだった。良く仲裁に入ったものだ。
アル中の息子がいた。社長の会社で、その息子を雇う事にした。それまで地方で離れて暮らしていたお婆ちゃんも、息子が心配で一緒に上京してきた。かれこれ、20年近くなろうか。
そんな息子が、昨年、急な発作で亡くなった。
お婆ちゃんは、息子の骨をもって郷里へ帰るはずだった。しかし、社長が労災の適用を主張して、頑張った。その頑張りは報われた。
ようやく帰れると思った。すると、先日書いた、抵当権の裁判を起こされた。すぐにも決着がつくような案件だったが、相手方がいたずらに期日を延ばし、1審判決がでているものの、未だに控訴審に係属中である。
とはいえ、1審で勝訴判決がでるかでないかのころに、社長が入院。最初は膀胱癌と診断されたが、治療の末きれいになったと言われていた矢先、「足が痛い」とのことで、みのもんたの腰痛を一発出直したという医者に手術をしてもらう。しかしながら、全身転移が見つかる。
手術を経た社長は、みるみるうちに弱っていき、あっという間に寝たきりになってしまう。それでも、お見舞いに行くと、出ない声を一生懸命だしながら、裁判の心配をしたり、お婆ちゃんの心配をしたり、会社の心配をしたり。
すでに、会社は不渡りを2回以上だし、倒産状態であり、売り掛けもなければ何もない状況で、誰か心ある方が出版社を買い取ってくれることを期待し、待っているだけの状態だったが、なかなか思うようにいかない。
お婆ちゃんも、重い腰を上げて、社長の見舞いに行くようになる。腰が曲がって、歩行もままならないお婆ちゃんが、自宅から結構距離のあるところまで、一生懸命に見舞いに行く姿は、想像するに難くない。
病室で一緒になった事があったが、「水呑むか?」「何か食べるか?」「下着、洗濯してきたよ。」と献身的に動く姿は、元夫婦だった事を彷彿とさせた。
社長が入院して、3ヶ月くらいしたところで、社長自身も二度と帰れないと自覚。それまでは、「勝訴判決ありがとう。祝勝会でもやりましょう。」などと時折笑顔で話しをしていたが、もう観念したようだった。
会社で借りている事務所がそのままになっており、経費もかさむばかり。引き継ぎたいと言う人もおらず。ようやく、事務所をたたんで、明け渡す事を決意した。
年末になり、元社員、お婆ちゃん、業者さん、地方から出てきたもう一人の息子さんと協力して、明け渡しのための作業が始まった。社長は、何時逝ってもおかしくない状態になっていた。
お婆ちゃんが責任を感じて、一生懸命働いた。息子さんも一生懸命働いた。元社員の方も、なかば社長から追い出された格好で辞めていったにもかかわらず、献身的に働いてくれた。
明け渡しの目処が立ったのが、もう年の瀬。「それではよいお年を。」とのことで、新年を迎えたら、お婆ちゃんが倒れ、肺ガンの末期との宣告。
結局、お婆ちゃんがそのままこの世を去り、あたかも、そのお婆ちゃんの後を追うようにして、社長がこの世を去った。きっと、社長は、このお婆ちゃんがいないと、何も出来ないのだろう。お婆ちゃん、一人になれてホッとしたのもつかの間、もう、社長に捕まっているのかと思うと不憫でならない。でも、これが運命なのだろうか。
でも、一番不憫なのは、もう一人の息子さんだった。ここ1年強の間に、兄を亡くし、母を亡くし、父を亡くし、独りぼっちになってしまった。
そんな彼が喪主になって、明日、社長の葬儀が行われる。
投稿者 ono : 2008年02月12日 14:36
コメント
>希美さん
コメントありがとうございます。
お葬式に行ってきました。特に誰にも知らせなかったようで、本当に身内だけ(といっても親族は一人ですが)で、ひっそりと行われました。
一時は、売れに売れまくった社長(中野の大豪邸に住み、一度だけ招かれたことがありましたが・・・)でしたが、最後は、この家も担保に取られ、会社の事務所にベッドを持ち込んで、ひっそりと生活をするという、山あり谷ありの人生でした。
集まった人たちは、社長に良くされたり、怒鳴られたり、色々とあったようですが、一様に元気だった頃の社長を偲びました。
投稿者 小野 : 2008年02月25日 18:09