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2008年01月30日

【判決】埼玉医大教授らへの、謝礼金返還訴訟の判決

以前、ブログにも書きましたが(2006年4月6日付)、その裁判の判決の言い渡しが、1月24日にさいたま地方裁判所川越支部においてありました。
結論的には、請求棄却であり、敗訴判決でした。

http://mainichi.jp/area/saitama/news/20080125ddlk11040333000c.html
http://www.saitama-np.co.jp/news01/25/08x.html

こちら側主張の事実と裁判所が認定した事実との食い違い、法の解釈についての意見の相違、2点において不満の残る内容です。詳細と私の意見を記します。

ひとつは、依頼者が大学側に渡した金員の性格。こちら側は、卒業内定に対する謝礼金としてと言う主張。相手は、裏口卒業を迫る不法原因給付であるとの主張。
相手側は、数百万円というお金を受け取っておいて、また、2年も手元に置いておいて、良くもまぁ、こんな事が言えるなぁというのが実感であるが、判決は結局卒業内定の事実を認定できないとして、息子さんの「卒業を強く希望する原告が被告らに対して、積極的に現金を交付したものと認定するのが相当である。」とした。ある意味、裏口卒業目的のお金を、被告らが受け取ったという事実を公に認められた形であり、これはこれで社会問題であろう。

もうひとつは、大学側と交渉が決裂し、喧嘩別れになった途端に、先の現金が依頼者の自宅ポストに投げ入れられたという事実のとらえ方である。
こちら側は、確かに投げ入れた人が名乗った名字を聞くのは聞いたが、同一人物という確証はなく、不安だったため警察を呼び、不審物ということで中身を調べてもらうと、現金が入っていた。警察にそのまま拾得物として届け、警察から大学側へ確認が行くも、結局拾得物扱いのまま、半年経過後に依頼者がこのお金を「拾得物」として、遺失物法に基づいて「原始取得」した。「原始取得」というのは、誰かから譲り受けた「承継取得」と対置される言葉であり、突然ふっと沸いてきたもので、誰からも譲り受けたものではないという、法律用語である。
従って、仮に大学側の誰かが投げ入れたものであったとしても、大学側が不当に得た「利得」は、依頼者に「返還」されたものではないことから、法的には不当利得返還請求権がなお存在する、との主張をした。

これに対し、大学側は、
① そもそも、お金は無理矢理おいていかれたものでやむなく預かったに過ぎないから、給付ないし被告らの計算による利得はない。
② 最終的には被告らに預けた金員を被告らの一人をとおして返還を受けているから、こちら側に損失はないから、被告らにも利得はない。
と反論。
これに対して判決は、
不当利得における利得が認められるには、一定の事実の発生した前後において財産状態の増加があればよく、その財産を自己の物として利用するまでは要求されていない。そして、・・・事実によれば、被告らは原告から現金の交付を受けた事実が認められるから、その時点で、被告らの利得があったと認めるのが相当である。」として被告の主張を排斥しました。これはもっともなことです。しかしながら、
②「原告は、被告○○が原告が被告らに対して交付した現金を返還する目的で現金が入った封筒を原告の自宅敷地内の門扉脇ポストの中に入れたことを認識しつつ、あえて遺失物として警察署に届けているのであるから、被告○○が原告の自宅の門扉脇ポストに現金を入れた時点で、原告は被告○○を通して被告らに対して交付した現金の返還を受けたと認めるのが相当である。したがって、この時点で原告の損失はなくなり、また、この現金は、被告らの出えんによるものであるから、被告らに利得はなくなったと認められる。仮に、上記時点において原告に損失がなくなっていないとしても、少なくとも原告が遺失物の拾得者として310万円を取得した時点で原告に損失はなくなったと認められる。この点原告は原告が現在所持している310万円は、遺失物拾得者としての地位に基づいて取得するに至ったものであるから、そもそも原告は被告の損失に対応する利得を得たとはいえない旨主張する。しかしながら、ここで問題とすべきは原告の損失(または被告の利得)の存否であるから、原告が被告らの損失に対応する利得を得たか否かを問題とする原告の主張は独自の見解であり採用できない。」として、こちら側の主張を排斥した。
ここは多いに疑問である。そもそも、不当利得の要件として、原告の損失に対応する被告の利得が必要となるのに、なぜ逆の場合はこの要件が不要になるのか。そもそも、相手方は、警察からの問い合わせに対して、「310万円については拾得物扱いで結構。」と申告しているのである。要は、「あのお金は要らない。所有権は放棄する。捨てたものである。」という意思表示をしているのである。「被告らの出えんによる」とはどう見ても評価し得ない。なぜなら捨てたものなのだから。
なのに、こちら側が「返せ」といえば、「やっぱり自分のものだった」と所有権の復活を主張したのであり、それを裁判所が追認したのである。これは理屈としておかしい。結論的な妥当性についてはよくわからないが、理論的な妥当性については、全く納得できない内容である。もう少し、詳細な理由を理論的に書いて欲しかったところである。

一法律家としては、この点についての高裁、最高裁の見解を是非聞いてみたいところである。引き続き控訴するかどうか、依頼者と検討中である。

投稿者 ono : 2008年01月30日 15:03

コメント

大学って卒業するのにもお金がかかるんですね・・・

この場合そういう問題ではなく
大学側が最初の時点で「こういうお金は必要ありません」と受け取りを拒否すれば何事もなかったはずです。
そのために第三者から見れば「やましいお金」になってしまい
大学も返すに返せなくなりポストに入れてしまった・・・?
これもまた「申し訳ありませんでした、このお金はお返しいたします」等
わかるような説明をしていればこのようなこじれ方は防げたかもしれません。

もっともうちにはそういうお金はありませんから
そういう事態になったらこういう行動をとらないようにしたいです。

少し考えれば何の問題もなくことは済んだと思うのですけどね。

投稿者 希美 : 2008年02月02日 20:47

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