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2005年10月01日

第1回 法律と再現芸術について(総論)

この文章は、僕が司法試験に合格したときに、受験生向けに法律のおもしろさを知ってもらおう、楽しく勉強してもらおうと思って、書いたものです。その意味では、一般向けではないかも知れませんが、当時の思い入れをそのままの形で載せておきます。

1,私は、クラッシック音楽が好きである。歌舞伎も好きである。
また、古典落語の大フアンでもある。
こんなことと法律がどんな関係にあるかということについては、おそらくまだ見当もつかないことであるに違いない。

ところがこれが関係あるのであり、私はこの関係について認識することによって法律に対する興味をよりいっそう深めることとなったのである。


2,世間一般に右に掲げたものは、いわゆる再現芸術などと言われている。
ここに言う再現芸術とは、一体なにを意味するのかが、右の関係を理解する手がかりとなろう。
ここに言う再現芸術とは、ある一定普遍のもの(右の例で言えば楽譜であり、台本である)を再現するについて再現者の一定の解釈を通すことによって再現内容が変わるものを言う。

例えば、音楽について言えば、作曲者が書いた一定普遍の五線譜があるが、これは、作曲者の意図通りというわけでわなく、再現者たる指揮者の楽譜に対する読み込み即ちその者の解釈によって演奏内容は変わりうるのである。
つまり、指揮者 次第で同じ曲でも実際に耳にするときには違うものになっているのである。
そうであるからこそ、同じ曲名のレコードを指揮者を変えて何枚も買っては、聴いてしまうのである。

歌舞伎や落語についても、全く同様のことがいえる。
つまり、演者によって再現されるものが変わってくるからこそ、同じものを聴いたり見たりすることに飽きずに愉しむことができるのである。また、そういうものであるからこそ、奥が深いのである。


3,ここまで言うと、勘のいい人であれば私のいわんとしていることが、わかるのではないか。
要するに、このことは、そのまま法律についても言えるのではないか、と言うのが私の持論である。
法律も奥深く興味深いものなのである。
私の場合、法律よりも音楽の方が先にこのことに気付いたので、それを応用してみただけの話なのである。
音楽と同じように楽しく法律を勉強できないものだろうかということを考えているときにふと思いついたのである。
これを法律の場合について当てはめてみよう。
法律の場合には、作曲者の書いた五線譜の代わりに、立法者の書いた条文がある。
ただ、これは常に立法者の意思通りに解されるわけではなく、必ず適用者の解釈がそこには介在する。そして、解釈する人次第によって、条文の意味が変わってくるのである。
そこに学説の対立が生じるのである。
そのうちの通説と呼ばれるものは、いわばいろいろな意見の中のオーソドックスなもの、音楽で言えばカラヤンみたいなものと言える。
誰でも知ってる指揮者であり、法律で言うところの我妻先生みたいなところだろうか。


4,このように見てくると、法律もいわば再現芸術の一つではないかというところに落ち着くのである。
こう考えると、音楽や歌舞伎、さらには古典落語と法律の勉強は実は同じなのではないか、と思った瞬間法律の勉強が楽しいと思えるようになったのである。
これは、例えば、「運命」(ベートーベン)についての新解釈のレコードが発売されると聞いて胸をときめかすのと同様に、内田の「民法3」がでるというのを聞いて、民法の新解釈が読めるのだと思って本がでるのを楽しみにしているというのと全く変わらないのである。

勉強というものは、元来つまらないものだが、このような発想の転換一つでいくらでも楽しくやれるものだと思う。参考にしていただければ幸いである。(1996.12)

投稿者 oreirei : 2005年10月01日 21:12